趣味・文化

なぜこの場所では自然に協力が生まれるのか? 名古屋市中区新栄のコミュニティースペース「のわ」に見る“余白の力”

「パルル」の扉を開けると、代表の新見さんがカウンター越しに、その日キッチンで営業していた「みそのわ食堂」の店主と談笑していました。
こぢんまりとしたカウンター席だけのキッチンは、店主とお客さん、そして、お客さん同士がつながるきっかけになるであろう絶妙なバランスを感じさせてくれる空間でした。
その雰囲気が、奥へと続く通路の先にある場への期待感を膨らませてくれます。
名古屋市中区新栄の一角にある「新栄のわ」は、その地で40年以上続くコミュニティスペースです。
場所の名前はそれぞれ3つ。1Fが「パルル」、2Fが「205」、5Fが「503」と呼ばれています。
「新栄のわ」と名付けているのは、ここの団体名が「のわ」だから。3つ合わせた場所の総称が「新栄のわ」です。

1 階のフリースペース(パルル)
常勤スタッフの𠮷子さん。イベント映像業とシステム開発業を経て「のわ」に参加
2 階のつくる場(シェアオフィス/205)
2 階のつくる場(シェアオフィス/205)
2 階のつくる場(ラボ/205)
2 階のつくる場。3Dプリンタや電動工具などが揃っている(ラボ/205)

「新栄のわ」は、飲食、アート、音楽、ワークショップだけでなく、シェアハウスやシェアオフィスなどが交錯する”ゆるやかな実験場”ともいえる場です。
そこでは、誰がまとめ役というわけでもないけれど、自然と助け合いが生まれていました。なぜ、ここではそんな関係が成り立っているのでしょうか。
今回は、代表の新見さんへのインタビューを通じて考察してみました。

物腰がやわらかく親しみ深い印象の代表の新見さん

そもそも、どんな経緯で「のわ」が立ち上がったのか?

「1982 年に「新栄画廊」という名前で始まり、その後しばらく「カノーヴァン」という名前の時期があって、2006年から「パルル」という名前になりました。205と503はまだ始めて5年ほどです」と新見さん。画廊からコミュニティスペースへと広がっていった経緯をお聞きしてみました。
「1990 年、画廊として経営を始めて5年くらいたった頃、イギリスに行く機会がありました。その1年ほど前に、名古屋で世界デザイン博覧会という催しが開催されたんですね。
その中に、海外の人が参加する展覧会がありました。そこに、イギリスの二人組のアーティストが参加していて、その人たちと知り合いになりました。『もしイギリスに来ることがあったら遊びに来て』と言われるくらい仲良くなったのです。
1990 年というのは、その前年あたりから東ヨーロッパで革命が起きて、急速に自由化していった時でした。ポーランドの民主化が実現した時なんかは、世界中でニュースになって。それに突き動かされて、『現状を見なければ』という思いで行くことにしたんです。ちょうどイギリスのアーティストと仲良くなれたものですから、ポーランドとイギリスに行こうと思っていました。それを準備している間に、ベルリンの壁の崩壊という出来事も起きたので、その現地も見ることができたのです。僕が行った頃は、ちょうど 1 カ月くらい前に東西のドイツが行き来できるようになった頃で、人がごった返していて活気がありました。そんな時は、もう二度とないと思うので、すごいところを見ることができたなと感じています」
こうした歴史に残る出来事に感性を揺さぶられた新見さんですが、イギリスを訪れた時にカルチャーショックを受けます。
「それまで5年間ほど画廊をやっていたのですが、通常、画廊といったら作品を販売するか、展覧会をする人に場所を貸すレンタルギャラリーとして運営するかの二通りしかありませんでした。それが、普通の画廊のあり方だったのです。でも、イギリスで目にしたのは、画廊ではないのですが、アーティストが行政の支援を受けながら運営するアートスペースがあって、地域の人たちが作品を作ったり絵を習ったり、立体的なものを作ったりする場になっていたのです。ワークショップやトークショー、ライブなども開催されていました。
そして、さらにアーティストたちは、限られた空間の中で作品制作をしているだけじゃなくて、外に出かけて行って、地域の人たちと一緒に街の中の公園や公共建築の設備などを直したり装飾したりもしていました。
当時、日本はバブルで好景気だったけれど、イギリスは逆で、不況の真っただ中にありました。当然、地域も疲弊しています。そんな地域の人たちと一緒に何かやれる場所を持っていたり、外に出かけて行って地域の人たちと一緒にモノづくりをしたりながら地域を活性化しようとしているのを見て、すごく感銘を受けたわけです。今まで自分の中では、画廊と言えば建物の中で作品を展示するだけだと思っていたのですが、自分も、より地域の人と積極的にかかわって、場合によってはアーティストと一緒に外に出かけて行って何かやるとか、そうしたことに取り組んでみたいと強く思うようになりました」
そうした思いを胸に、帰国後、新見さんはその思いを実現しようと模索することになります。
ただ、当時の日本では、そうした取り組みをしている人はおらず、説明してもなかなかわかってもらえない。まさに手探り状態だったといいます。
「イギリスには、地域に開かれた『アートのコミュニティスペース』や『アートセンター』と言われるような場所がいくつかあって、地域の人がたくさん出入りしているんですけど、そういうところにはたいていカフェが併設されていたんです。そこで、まずはお茶を飲めるようにしようと思いました。今ほど大きくないんですけど、少し厨房らしきものを作って、お茶を出したり軽食をだしたりして、よりたくさんの人に来てもらえるような場所づくりから始めました。

この日営業していた「みそのわ食堂」の店主、愛称「ゆみそ」さん(パルルのキッチン)
カウンターのみのこぢんまりとしたキッチン。人と人の距離感が絶妙(パルルのキッチン)

他にも、音楽のライブや小規模な演劇の公演を行ったりすることで、普通の画廊ではないっていうところを見せていきました」
こうして新見さんの「作品を見せる」から「一緒に関わる」場づくりへの取り組みが始まりました。

なぜ一人の運営から”みんなの場所”になったのか?

「のわ」が”みんなの場所”になったのは、偶然の仕組みではなく、30 年以上かけて育まれた「関わり合い」の文化にあると感じます。
もともと新見さんが受け継いだのは、父親が始めた「新栄画廊」でした。しかし、イギリスで目にした地域とアートが混じる空間が考え方を一変させます。
帰国後の取り組み一つひとつが、「アート」や「場づくり」を一人で完成させるのではなく、関わる人たちと一緒に作りながら育てていく行為そのものと捉える考え方であり、「アート=共有の実践」ともとれる思想が、「のわ」のすべての活動の基盤になっているのではないでしょうか。
そして時がたち、キッチン担当者の独立をきっかけに日替わり制が生まれます。
「できる人ができる時に」という柔らかい仕組みは、結果的に誰もが関われる形へと発展しました。
この偶然の仕組みが定着したのは、関わる人それぞれが”自分も場の一部を担っている”という意識を持てる設計になっていたからです。変化を受け入れ、次へ手渡す。その連鎖こそが「のわ」の文化であり、協力の土台になっているような気がします。
理念を掲げて守るのではなく、関わりながら感じ取り受け継ぐ。そうした風土が「一人の場」を「みんなの場」へと変えていったのでしょう。

どうすれば自分ごととして関われるのか?

「新栄のわ」のキッチンでは、担当者が独立したことで空いたスペースを、複数の人が日替わりで利用するようになりました。週1回や月1回という条件で参加する人たちです。

新見さん自身も、「最初は毎日やってくれる人を探していたんですけど、『それじゃあ一回やってみるか』と思ってやり始めたらどんどん人が集まって今のようになった」と語るように、計画されたものではなく、偶然のきっかけから多様な人が関わる形が生まれました。
さらにキッチンだけでなく、2階の制作スペースとシェアオフィス、5階のシェアハウスなど、関われる余白が多いこともこの場に参加するハードルを下げています。利用者は、フルタイムで来る人もいれば、たまにしか来ない人もいます。それでも各自が自分の範囲で関わることで場が回る構造になっています。
偶然のきっかけと、多様な関りの余白があることで、人々は「この場の一員」として自然に関われるのでしょう。新見さんも、「ここはもう、みんなで『のわ』っていう場所の中でやっているんだって思ってくださっていて」と話しており、関わる人たちは自分の役割だけでなく、場全体の成り立ちを意識していることが分かります。

偶然の訪問者が仲間になっていくのはなぜ?

「新栄のわ」には、1階のイベントスペース、2階の制作スペースとシェアオフィス、5階のシェアハウスなど、複数の関りどころがあります。日常的に利用している人たちは、自分のペースで活動できる環境にあり、それぞれの生活や制作スタイルに合わせて関わっています。

そんな中で、偶然立ち寄った人も歓迎されています。例えば、音楽好きの二人組「LiNK」は、最初はこの場所を知らずに前を通りがかり、好奇心で立ち寄ったことがきっかけで、月1回の飲食店運営やオープンマイクを担当するようになりました。
こうしたエピソードから考えると、「のわ」では、来訪者がいきなり深く関わる必要がなく、まずは居るだけでも場に触れることができそうです。既存の参加者や場の構造が、自然に関わるきっかけを作り、少しずつ参加者としての関係性を育むようになっていると考えられます。
偶然の出会いは、場の柔らかい設計と既存メンバーの関りによって、次第に仲間意識へとつながっていくのでしょう。
「居るだけでもいいんです。ここに来て話をして、そこから関わる人もいます」と新見さん。こうした偶然のかかわりが仲間を増やす仕組みは、場の開かれた性質に支えられています。

5階のシェアハウスや2階の制作スペースとシェアオフィスなど、それぞれの階や場所に関わる方法が用意されており、参加者は自分のペースで関わることができます。

40年の歴史が育んだ、自然な協力のしくみ

「新栄のわ」では、なぜ人々が自然に協力しあうのか。それは、長年の歴史と偶然の変化、そして、場の構造と価値観が重なり合った結果にあるのではないでしょうか。
1982 年、「新栄画廊」として始まったこの場所は、画廊として作品を展示するだけの場所でした。しかし、1990 年、代表の新見さんがイギリスで見たのは、アーティストと地域住民が一緒にものづくりをする”共有の実践”でした。作品を展示するだけでなく、作る過程を分かち合い、地域の公園や公共空間に関わるという経験が「のわ」の原点となりました。
その後、日本に戻った新見さんは、少しずつ飲食やイベントの形で地域との関りを試行。キッチン担当者の独立によって空きが生まれたことをきっかけに、日替わり制が始まりました。偶然の空きが、新しい協働の形を生みました。さらに、「新栄のわ」には、1階のイベントスペース、2階の制作スペースとシェアオフィス、5階のシェアハウスなど複数の関りの入り口があり、それぞれが異なる関わり方を可能にしています。
新たに参加する人には、自分のペースで関われる設計が用意されています。既存の参加者も、訪問者に声をかけたりサポートしたりすることで、自然な協力の循環が生まれているように感じます。
歴史的に培われた「共有の実践」という価値観、偶然や変化を受け入れる柔軟性、参加者の自発的な関り、多様な関りの入り口、これらか相互に作用することで、この場では協力が自然に芽生えているのでしょう。
理想やルールではなく、文化と構造が支える循環が、40年近くにわたって人々のつながりを生み続けてきたといえそうです。
新見さんが見つめてきた協力の形は、もしかすると地域で生きる私たち自身の問いであるのかもしれません。

コミュニティデータ

団体名のわ(新栄のわ)
公式サイト新栄のわ
SNSInstagram
主催者新見(しんみ)さん
活動ジャンル多岐にわたる
拠点または活動場所名古屋市中区新栄2-2-19 新栄グリーンハイツ105
活動頻度随時
実績多数
参加条件特に制限なし
参加者層20代から50代まで幅広い。年配の方も歓迎している
最近の新規参加者
主な活動内容団体の公式サイトに随時掲載
参加方法団体の公式サイト参照
参加費用団体の公式サイト参照
連絡方法団体の公式サイトのお問い合わせフォーム
設立(活動開始)1982年
雰囲気アットフォーム・ゆるやか
こんな人におすすめキッチンとつくり場は、若干空きあり。活動に共感するすべての人
代表者コメントこわがらずに来てください(笑)

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